クラシックもポップスも好きな私が、ずっと感じていたこと。私の個人的な意見を話させてください。
音楽の世界にいると、ときどき息苦しくなる瞬間があります。
「良い音楽」「悪い音楽」。「本物」「チープ」。「古い」「擦り切れた」。
誰かが誰かの音楽に、ラベルを貼る。
そのたびに、私はどう反応したらいいかわからなくて、少し困ってしまいます。
音楽に貼られるラベルは、一切役に立たないと思っています。(学ぶ上でのジャンル分けは必須ですが…)
そして子どもの演奏に貼るラベルも、同じです。(どんな時も子どもへのラベリングは役に全く立たないと思ってます。お受験や試験やコンクールなどでは比較で結果が出ますが…)
今日はそのことを、お伝えしたいと思います。
クラシックとポップス、どちらの専門家とも話す私が毎回困ること
私はクラシックもポップスも好きです。どちらの専門家の方ともお話しする機会があって、それがとても豊かな時間だと思っています。でも、たまにこんな言葉に出会うことがあります。
それぞれの「専門家」から、こんな言葉を聞くことがあります
「ポップスみたいなチープな音楽と一緒にしないでほしい。クラシックは何百年もの歴史と技術の積み重ねで——」
「クラシックなんてまだやってるの? いつまで同じ曲擦り続けるの。時代遅れじゃない?」
毎回、私は反応に困ります。
どちらも大好きだから。どちらも本物だと思っているから。
そして——どちらの言葉も、音楽を少し小さくしてしまっている気がするから。
音楽に限らず、演奏についても、教育の考え方についても、音楽の世界には「良し悪しを判定したがる」傾向があると感じています。でも、そのラベルって一体何の役に立つんだろうと、ずっと思っていました。
ラベルが生み出すのは「息苦しさ」だけ
「良い音楽・悪い音楽」「正しい演奏・間違った演奏」——そういうラベルが存在することで、何が起きるかというと。
「悪のラベル」を貼られないために、私たちは自己弁護を始める
ラベルがあると、人は「悪い方に分類されないように」動き始めます。クラシックをやっている人は「ポップスより高尚だ」と証明しようとする。ポップスをやっている人は「クラシックより今の時代に合っている」と主張しようとする。(そうじゃない方ももちろんいます)
これって、音楽のためじゃなくて、自分を守るための自己弁護だと感じます。そして自己弁護に走るとき、人は「音楽」そのものを純粋に楽しめていない。
私がこの仕事をしていて一番大切にしていることのひとつが、「ジャンルや演奏スタイルに良し悪しをつけない」ということです。
クラシックには、クラシックにしかない深みがある。ポップスには、ポップスにしかない瑞々しさがある。どちらも本物で、どちらも人の心に届く力を持っています。
「良い音楽・悪い音楽」という区別は、音楽を楽しむためには何の役にも立たないと、私は思っています。
息苦しさを感じている人が、思ったより多い
音楽を習っている方や、音楽好きな方と話すと、こういう声を意外とよく聞きます。
💬 ピアノを習っている大人の方から
「『その弾き方は間違い』とか『その曲は音楽的じゃない』とか言われて、音楽が嫌いになりかけました。楽しくてやっていたはずなのに」
💬 お子さんにピアノを習わせているママから
「発表会のあと、他のお母さんに『あの子はまだ〇〇も弾けないのね』って言われて。子どもには絶対聞かせたくないと思いました」
ラベルは、音楽から人を遠ざけます。音楽が本来持っている「誰でも参加できる喜び」を、ラベルは奪ってしまうんです。
人間は常に変化して、常に成長している
もうひとつ、大切なこと。
ラベルが役に立たない理由のひとつは、人間が常に変化し、常に成長している存在だからです。今日できないことが、明日できるようになる。今日の「下手な演奏」が、1ヶ月後には「あの頃よりずっと成長した演奏」になっている。
固定されたラベルを貼ることは、その変化の過程を見ていないことと同じだと思っています。
子どもは、大人よりもずっと速く変わっていきます
大人でも常に変化しているのに、子どもはもっとです。先週弾けなかったフレーズが今週弾けるようになって、今日ぐちゃぐちゃに弾いていた曲が来月には形になっている。
そういう子どもに「上手ね」「下手ね」とラベルを貼ることは、その子の今この瞬間の可能性を、一枚の紙に押し込めてしまうような行為だと感じています。
「上手じゃなかったね」じゃなくて、何を伝えればいいか
「じゃあ、子どもの演奏を聴いてなんて言えばいいの?」と思うかもしれません。実はこれ、すごくシンプルで。演奏の「結果」じゃなく「過程」を見ればいいんです。
「上手・下手」の代わりに使える言葉
よく考えながら弾いていたね
あそこ、間違えちゃったね
最後まで止まらなかったね、かっこよかった
集中してたね、すごく真剣な顔だった
先生みたいにはまだ弾けないね
あなたらしい音だったよ、好きだな
見るポイントが変わると、言葉が変わります。そしてその言葉が変わると、子どもの音楽との関わり方が変わります。
ぐちゃぐちゃに弾いたって、それでいい
たとえば子どもがピアノを思いっきりぐちゃぐちゃに弾いたとして。「めちゃくちゃだったね」じゃなくて、「元気いっぱいな音が出てたね、面白かった」って伝えてあげたらいいと思っています。
そこに嘘はないはずです。実際に元気いっぱいな音が出ていたんだから。そしてその「元気いっぱいな音」は、その子にしか出せない音です。上手い下手の話へはなくて、その子が今この瞬間に出した、本物の音なんです。
💬 レッスン中のある5歳のお子さん
「でたらめに弾いたら、先生が『怒りん坊さんのすごい曲になったね』って笑ってくれて。それからもっと弾きたくなった」
子どもが「音楽って怖くない」と感じられる場所をつくりたい
私がピアノノギフトを通じて伝えたいことのひとつが、「音楽に良し悪しのラベルを貼らない場所をつくること」です。
クラシックでもポップスでも、好きな音楽が好き。うまく弾けてもぐちゃぐちゃでも、音を出すこと自体が楽しい。そういう感覚を、子どもの頃に持ってほしいと思っています。
「音楽が好き」という感覚は、ラベルのない場所で育つ
「上手に弾かなきゃ」「間違えたら恥ずかしい」「この曲は難しすぎる」——こういう気持ちは、ラベルのある環境で育ちます。
逆に、ラベルがない環境では。「弾いてみたい」「この音好きだな」「もう一回やってみる」——こういう気持ちが育ちます。どちらが長く音楽と関わり続けられるかは、明らかだと思います。
🎵 ピアノノギフトが大切にしていること
- クラシックもポップスも、好きな音楽を一緒に楽しむ……ジャンルで音楽の価値は変わらない
- 「上手・下手」より「今日の発見」を言葉にする……過程を見ることで、子どもの意欲が育まれる
- ぐちゃぐちゃでも、でたらめでも、音を出すことを肯定する……音楽への抵抗感をなくすことが、まず大切
- 演奏を「評価する場」でなく「表現する場」にする……音楽は審査じゃなく、その子の声を届ける時間
音楽は、自由でいい
長くなりましたが、最後にひとつだけ。
音楽は本来、ものすごく自由なものだと思っています。何百年も前に生まれた曲が今も人の心を動かして、昨日生まれたばかりの曲が誰かの涙を誘う。クラシックが好きな人も、ポップスが好きな人も、どちらも音楽に心を動かされているという意味では同じで。
子どもが音楽に触れるとき、「良い・悪い」のラベルから一番遠いところで触れさせてあげたいと思っています。評価される場所じゃなくて、ただ音を出して、感じて、楽しめる場所。そういう体験が、音楽を一生のものにしてくれると信じています。
🎹 この記事でお伝えしたこと
- 「良い音楽・悪い音楽」というラベルは、音楽を楽しむためには何の役にも立たない
- ラベルが生み出すのは「息苦しさ」と「自己弁護」だけで、音楽から人を遠ざける
- 人間は常に変化・成長している。子どもはもっとそう。固定したラベルは可能性を閉じてしまう
- 「上手・下手」ではなく「よく考えていたね」「集中していてかっこいいね」と過程を見る
- ぐちゃぐちゃに弾いても「元気いっぱいな音がお気に入り」と伝えてあげればいい
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上手じゃなくていい。
音を出すだけで、十分です。
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