ピアノノギフトで、私は何を成し遂げたいのか。
教室の理念や特徴を語る前に、まずこの話をさせてください。
3歳の私が、リビングのピアノの前に座っていた話です。
3歳の私が覚えていること
リビングにアップライトのピアノがありました。
3歳の私は、そのピアノの前に座って、家族に向かって弾いていました。たぶん、まだちゃんとした曲にはなっていなかったと思います。
でも、そのときの空気を、私はいまだに身体で覚えています。
あの日のリビング
母が家事の手を止めて、こちらを見ていた。
父が「上手だね」と言ってくれた。
祖父母が、拍手をしてくれた。
私が弾いた音で、家族の時間が止まった。みんなが私を見ていた。みんなが笑っていた。
「自分の音で、誰かの心が動いた」
あの瞬間が、私の原点です。
ママたちにとっても、似たような記憶があるかもしれません。
子どもが初めて描いた絵を見せに来たとき。初めて「ママ」と呼んでくれたとき。運動会で一生懸命走っていたとき。
子どもが何かを一生懸命やっている姿を見て、胸が熱くなった経験。あれと同じ種類の感動が、ピアノの前でも起きるんです。
肩書きの奥にあるもの
少しだけ、私の経歴を書かせてください。
自慢をしたいのではなく、これを書いたうえで「でも、根っこは3歳のままなんです」と伝えたいからです。
積み上げてきたこと
東京音楽大学のピアノ演奏家コースを卒業しました。ドイツのフォルクヴァンク芸術大学に奨学金で留学しました。国際コンクールでは指導者賞をいただきました。
肩書きは、たしかに積み上がりました。
でも、正直に言います。私が音楽を続けてきた本当の理由は、技術でも名誉でもありませんでした。
どれだけ経歴を重ねても、根っこにあるのは今も3歳の私。「自分の音で、誰かが喜んでくれた」——あの最初の記憶が、全部の出発点です。
コンクールで賞をもらったときよりも、留学先で教授に褒められたときよりも、3歳のあの日にリビングで家族が拍手してくれたことのほうが、ずっと鮮明に残っています。
音楽の力って、そういうものだと思うんです。技術の優劣ではなく、誰かの心に届いたかどうか。届いたその瞬間の記憶は、何十年経っても色あせません。
「あの体験」を、今度は私がつくる側になる
私が家族からもらったもの。それは、ピアノの技術ではありませんでした。
「あなたの音で、みんなが喜んでいるよ」という体験です。
あの体験があったから、私は「もっと弾きたい」と思えた。壁にぶつかっても、練習がつらくても、「あの感覚をもう一度」と思えたから続けられた。
私がやりたいこと
子どもの心に、音楽の記憶を残すこと。
大人になっても、人生のふとした瞬間に蘇る音楽を、その子の中に持たせること。
嬉しいとき、悲しいとき、迷っているとき。ふと頭の中に流れてくるメロディがある。指が覚えている曲がある。弾いたときの記憶、聴いてくれた人の顔、そのときの空気。
そういう「一生消えない音楽の記憶」を、目の前の子どもたちに贈ること。それが、ピアノノギフトで私が成し遂げたいことです。
ピアノ教室をやりたかったわけじゃないんです。
私が家族からもらったあの体験を、今度は私が世界中の親子に贈る側になりたかった。教室は、そのための手段です。
「今」でなければいけない理由
このタイミングでこの記事を書いているのには、理由があります。
私は今、お腹に新しい命を抱えています。間もなく、母になります。
母としての覚悟と、ピアニストとしての覚悟
「我が子に何を残すのか」
この問いを、今まさに自分の身体で考えています。
お金や物ではなく、この子の人生にずっと残るものは何だろう。私がこの子にいちばん贈りたいものは何だろう。
その答えが、「音楽の記憶」でした。
3歳の私が家族からもらったあの体験を、今度は私が我が子にも、そしてレッスンに来てくれるすべての子どもたちにも、贈りたい。
母としての覚悟と、ピアニストとしての覚悟が、はじめて同じ場所で握手した。そんな感覚です。
「我が子に何を残すのか」を自分の身体で考えている今だからこそ、同じことを考えているお母さんたちに、本物の言葉が届くと信じています。
朝3時45分に起きてジムに行って、お腹の子と一緒にレッスンをして、夜はコンテンツをつくって。
完璧主義を手放しながら、それでも毎日発信を続けているのは、今この瞬間にしか届けられない言葉があると思うからです。
サントリーホールという「まだ」の場所
ひとつだけ、打ち明けたいことがあります。
あと一年、届かなかった場所
サントリーホールは、私が人生で初めてピアノの本番を経験した場所です。
そして、PTNA特級のファイナルで、タイミングが一年ずれて立てなかった場所でもあります。翌年のファイナルはサントリーホール大ホールだった。あの「もう少しだった」場所。
悔しかった。今でも、思い出すと胸がぎゅっとなります。
今の教室は、日比谷の小さなショールームです。サントリーホールとは比べものにならない規模。
でも、あの小さな部屋で子どもがピアノを弾いて、ママが涙ぐんでいる瞬間は、どんな大ホールにも負けていないと思っています。
いつか、ここから始まった子どもたちが、大きなステージに立つかもしれない。あるいは、ステージには立たなくても、一生ものの音楽の記憶を持って大人になるかもしれない。
どちらでもいい。どちらも、私がいちばん嬉しいことです。
これから届けていくこと
ピアノノギフトは、今はまだ小さな教室です。でも、届けたいことはひとつ、明確に決まっています。
目の前の親子に、直接届ける
田町・三田と日比谷の教室で、一人ひとりの子どもに向き合う。レッスンで「弾けた」の笑顔を見る。ママに「今日のここが成長していましたよ」と伝える。
この距離感でしか生まれないものがあります。教室は、ピアノノギフトのいちばん大切な場所です。
会えない人にも、毎日届ける
教室に通えない方にも、音楽の力を届けたい。
ブログ、YouTube、Podcast。画面越し、音声越しであっても、「ピアノって楽しそう」「うちの子にも体験させてみたい」と感じてもらえるコンテンツを、毎日つくり続けます。
いつか、全国の親子へ
3年後、オンラインスクールで全国の親子に届けることを目指しています。
そしてその先には、私と同じ想いを持つ講師たちと一緒に、「子どもの心に音楽の記憶を残す」教育を広げていきたい。
ひとりでできることには限界があります。でも、同じ覚悟を持つ人が集まれば、届く範囲は何倍にも広がる。
教室でも、画面越しでも、まだ会えていない人にも。すべての入り口は違っても、出口はひとつ。「大人になっても人生の節目に蘇る音楽」を、その子に持たせること。
全部の土台にあるもの
ここまで書いてきたこと、全部の根っこにあるのは、やっぱりあのリビングの記憶です。
3歳の私がピアノを弾いて、家族が笑っていた。それだけのこと。
でも、「それだけのこと」が、私の人生を決めました。
「あなたの音で、誰かが喜ぶ」——その原体験を、私は今度はつくる側になる。
ママたちが子どもにピアノを習わせるとき、何を期待しているかはそれぞれ違います。脳の発達、集中力、教養、将来の特技。どれも大切な理由です。
でも、私がいちばん届けたいのは、そのどれでもなくて。
お子さんが大人になったとき、ふとピアノの前に座って、子どもの頃に弾いた曲を弾いてみる。そのとき、レッスンの記憶が蘇る。先生の声、ママが見守ってくれていた気配、発表会の緊張と拍手。
その記憶があるかどうかで、人生の豊かさは変わります。
私は、その記憶をつくる人でありたい。ピアノノギフトは、その記憶が生まれる場所でありたい。
この記事を読んでくださったママへ
長い記事を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
私は、華やかな経歴を持ったピアニストである前に、3歳でリビングのピアノの前に座っていた子どもでした。そして今、間もなく母になるひとりの人間です。
お子さんに何を残したいですか。
その答えが「音楽の記憶」に少しでも近いものだったら、ぜひ一度お会いしたいです。
お子さんが鍵盤に触れたとき、どんな顔をするか。その瞬間に立ち会えることが、私にとっていちばんの喜びです。
体験レッスンで、お待ちしています。
体験レッスン受付中です


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